北大路魯山人について

希代の美食家のイメージが強い北大路魯山人さんですが、晩年「家で食べる食事が一番」とおっしゃっていたと聞くと、美食というのは「美味しいものを食べるのではない、美味しく食べるのだ」という食の地平に至るまでのプロセスであったのではないでしょうか。魯山人さんは庶民的な感覚を持ちながら「食」「藝」「生活」の分野で活動されていたと思います。

海外の藝術家とも交流が深く、パブロ・ピカソとも親しく交流していました。

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略歴

1883年(明治16年)、京都市上賀茂(現在の京都市北区)北大路町に、上賀茂神社の社家・北大路清操、とめ(社家・西池家の出身)の次男として生まれる。生活は貧しく、父親は魯山人が生まれる前に自殺し、母親も失踪したため親戚の家に引き取られたが、その後親戚宅をたらい回しにされる。農家に養子にも出されたが、6歳の時に竹屋町の木版師・福田武造の養子となる。10歳の時に梅屋尋常小学校(現・御所南小、新町小)を卒業し、本人は画家になるための学校に行きたかったが、家業を継がせるつもりだった養父母は猛反対にあい、京都・烏丸二条の千坂和薬屋(現・わやくや千坂漢方薬局)に丁稚奉公に出された。

奉公を終えたあと、書家になることを志して1903年(明治36年)に上京。翌年の日本美術展覧会で一等賞を受賞した。書家魯山人が始まる。2年後の1905年(明治38年)。町書家・岡本可亭の内弟子となる、1908年(明治41年)には中国北部を旅行、書道や篆刻を学んだ。その後、朝鮮総督府に書記として勤めた。

著作

  • 『常用漢字三體習字帖』五月書房 | 1922年、改版1977年、1980年、1996年
  • 『魯山人作瓷印譜磁印鈕影』五月書房 | 1933年、改版1980年
  • 『古染付百品集』五月書房 | 1978年
  • 『春夏秋冬料理王国』文化出版局 | 1960年。改題改版『魯山人の料理王国』1980年
  • 『北大路魯山人作品集』文化出版局 | 1972年
  • 『栖鳳印存』五月書房 | 1981年